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龍馬は要注意人物、寺田屋事件で奉行所報告書(読売新聞)

龍馬は要注意人物、寺田屋事件で奉行所報告書(読売新聞)

 幕末の志士・坂本龍馬が重傷を負った寺田屋事件について、襲撃した伏見奉行所が記した報告書の写しが見つかり、高知県立坂本龍馬記念館が15日、発表した。

 幕府側の記録に龍馬の名前が出てくるのは極めてまれ。事件直前に龍馬は薩長同盟を仲介しており、調査にかかわった青山忠正・佛教大教授(明治維新史)は「龍馬が、単なる浪士から要注意の大物として幕府にマークされ始めたことを示す重要な資料」と評価している。

 薩長同盟(1866年1月21日)の成立直前から龍馬は、護衛役の長府藩士と行動をともにしており、事件は龍馬の手紙と、この藩士の日記で知られてきた。

 報告書は2通あり、あて先は京都を警護する京都所司代の役人。高知県が歴史研究家から購入した土佐藩・京都藩邸の公文書など574点に含まれており、同藩が入手した「写し」らしい。龍馬の名前は計3か所に記述。1通目の冒頭から4~5行目には「坂本龍馬所持書類写取奉差上候」とあり、「龍馬の持っていた書類を写し取ったので報告する」と書かれていたが、内容は記載していなかった。

 さらに、逃げた龍馬が薩摩藩邸に向かう途中、隠れた材木商の納屋に「胴乱」(小物入れ)など血染めの所持品を残していた、と記している。2通目では、逃げ込んだ同藩邸が武装していて踏み込めないと報告している。同館は来年7月頃、企画展で公開する予定。同館の三浦夏樹・主任学芸員は「血の跡が残っているのに龍馬が逃げてから材木置き場に着くなど不手際が目立ち、龍馬が残した書類の捜索が重要だったのではないか」としている。

 ◇寺田屋事件=薩長同盟が成立した2日後、伏見奉行所が、伏見の旅館「寺田屋」にいた坂本龍馬を襲撃。龍馬が家族にあてた手紙では、2階の部屋で寝ようとした際、武装した幕吏十数人が捕まえに来たが、後に妻となったお龍の知らせで気付いてピストルで応戦し、一緒にいた長州支藩の長府藩士・三吉慎蔵と逃げた、などと記している。

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